思ったんだけど、

プラスチック業界とか仕事のこととか。語る場所が欲しくて。

徳は孤ならず、必ず隣あり。

あけましておめでとうございます。気付いたら今年も一か月が経っていて、時が過ぎるのは早いなと実感しているところ。
なんか投稿しようと思って2時間くらい考えてたんだけど、あんまりイイ案が思いつかなかったから適当に語ってお茶を濁したい。


さて、表題は論語より、私の好きな言葉なので解釈を晒していきたい。
事前に言っとくと今から書くことはしっかり裏を取ってないから間違ってることがたくさんあると思う。鵜呑みにしないように。

ではさっそく。
「徳は孤ならず、必ず隣あり」だけでは意味がはっきりしないから、それぞれの言葉の意味を明らかにする。
徳:徳のある人
孤:孤立
隣:協力者・支持者

でも、徳のある人ってなんじゃってなるから論語の世界観での徳についてまた明らかにしたい。
この徳は5つに分類できるらしくて、それらの意味がこんな感じらしい。

仁:人を思いやる気持ち
義:なすべきことをなそうとする気持ち
礼:人を思いやる態度や行動
智:道理・知識をよく知っていること
信:誠実で信頼できる姿勢・言動

なるほどって感じ。こんな人なら確かに必ず協力者や支持者も集まるわなって思わせる。
で、私はこの隣ってのがどんな奴なんだろうって思った。
たぶんこの隣ってのは、ファンとか追従者ではないと思う。どちらかというと同志であり良き理解者であることを意味するんだろう。
同じようにモノを知っていて、同じ正義があり、ちゃんと人を思いやり礼儀正しく接せる信頼がおける者だから、その人の下につくんじゃなくて隣に並べるんだろうなーって。
てことは、隣=徳ってことだと思ったわけ。徳は孤ならず、必ず隣に徳あり、みたいな。つまり徳のある人は徳のあるグループにいるんだろうと。
逆に言えば、徳のない人は同じ徳のない人とつるむか孤立するかの二択ってことになる。

じゃあね、自分の周りの人は、たぶん自分の鏡なんだろうと。自分が徳のある人間かどうかは、自分の周り、親友とかでわかるんだろうとも思った。類は友を呼ぶってことだよね。
だからこの言葉は座右の銘になり得るものだと思う。お前は徳のある人間か?お前の周りを見てみろ。尊敬できる素晴らしい人間が周りにいるか?って。


私の周りには、尊敬できる友達が結構いる。それで自分が徳のある人間なんだとは流石に思えないけれども、でもこの人たちが自分と仲良くしたいと思ってくれていることを大切にして、自分もそれに応えられるよう徳を高めていきたいなと。そう思っている今の私の気持ちを心に刻ませてくれる、素敵な言葉だと思ってる。
座右の銘っていうのは、こういうことを言うんだろうなーって思う、今日この頃。